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ニュース バックナンバ 2006年分
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母さんたら入院、父さんたら中国 三大成人病の端くれ

 万が一冗談に終わらなかった場合を考慮して、本ページへの掲載を見合わせていた本件、 案の定冗談で終わったので、遅ればせながらご報告致します。

 花火の代わりの温泉にゆっくりつかって血の巡りが良くなったせいか、母さんに軽い脳血栓ができました。

 8日の夕方温泉から帰って夕食に回転寿司に行ったとき、少し歩きにくい感じがしたのですが、 翌9日の朝、何かに捉まらないと立てないとのこと。筒井さんにも相談にのってもらい、 急いで、8時頃にメディカルセンタへ。  しばらく待たされたのですが、CTやMRIで検査した後、昼過ぎに脳血栓と診断されて、入院することになりました。  それほどの障害ではないが、少しは後遺症が残るかもしれない。  ともかく、しばらくは経過観察をしてそれからリハビリ、とのこと。

 さて、その日は、父さんは学会で北京へ出かける予定の日。  どうしようか迷ったのですが、診断の結果は、もうそれ以上突然様子が変わる可能性は小さいとのこと。  病院にいれば安心で、父さんがいても母さんの症状に役立つことは何もできない、 と判断して、母さんの世話と留守中のことはすべて、さと子にお願いして、父さんは急いで、出張に出かけました。

以下の文章は、その日の夕方、さと子が兄弟に送ったメールです。

Subject: Nyuin 母さんたら入院、父さんたら中国
ya- ne-san desu.
そうです、サトコです。
昨日の夜から母さんが「左足が動かない」などと言いだし、今朝になったら左手
も動かなくなってびっくりして筒井さんに相談したらすぐに病院に行った方がい
いということになりました。メディカルセンター(姉さんの顔に12ハリの痕をつ
けてくれたところ)に行って検査してもらったら、右耳の後ろあたりの脳みそに
血栓ができてました。そんなわけで2週間ばかり入院して投薬&リハビリです。
父さんはそれを見届けて、一週間の中国出張へ行ってしまいました!姉さんひと
りで残されました。だれか朝の犬散を手伝いに帰ってきてください。

Subject: Re: Nyuin 母さんたら入院、父さんたら中国
さっきのメールについてですが、ひとつ言い忘れました。かあさんの脳みそにつ
いてはとくに心配しなくても大丈夫です。感覚にちょっとした麻痺がのこるかも
しれない、といった程度です。それより大和のエサやるのが大変ですよ!

 さて、父さんは学会へ行って15日に帰国。  母さんは1週間の点滴の後も入院をつづけてしてリハビリをしていましたが、 退院の許しが出て、21日(油田家の創立記念日)に無事退院し、普通の生活に戻りました。  まだ、歩くのは完全とはいきませんが、だんだん普通にできるようになってきています。

 母さんの入院中大変だったのは、大和やミックをはじめ、犬、猫、鶏たちの世話。  さと子は大活躍で、仕事をしながら、動物たちの面倒も看つつ、病院にも通うという毎日でした。  春くんたちももちろん休みには帰ってきて手伝ってくれました。

   ところで、母さんは退院直前のCT検査その他の結果「まったくどこも異常なし」とのこと。  いったいなぜ血栓なんかできちまったのか、医者も頭をひねっていました。  どこも悪くないので、今後どのようなことに気を付ければいいかも不明。  これからどうしろっていうのでしょう。

写真は母さんやら大和をそっちのけで中国出張を満喫するとうさん。
(2006.11.02父さん)

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香良洲、頑張りきれず えーん

 速報でお伝えしましたが、香良洲が死んでしまいました。

 雄鶏を捕まえて褒められた珂暖は、今度は香良洲の首根っこをガブリとやりました。  理恵ちゃんの通訳によると、「だって香良洲だとは思わなかったんだもの!」だそうです。  先週の火曜日の出来事です。

 それ以来また座敷鶏にもどり、おなじみのかごの中で安静にしていた香良洲ですが、 なんとか頑張って痛い首をあまり動かさずにエサも食べてたし、水も飲んでいたんです。  かごの戸を開けると昔のように「やっほーい!」と出てきて、膝の上にどっこいしょと座ったし。  それなのに五日後の日曜日、ライオンズがイーグルスに負けた途端、力尽きてしまいました。

 左の写真は、死んじゃった日の午前中。 首は折り畳んでいたけど、ご飯は食べてましたよ。

 生まれて早々カラスに襲われ左の翼に大怪我をし、 悪趣味な飼い主(サトコ??)に香良洲などという名前を付けられたあげく、 座敷聾に監禁されながらも、スクスクと大きくなっていたのに。  後からやってきた七羽のヒヨコどもが現れた途端に座敷聾を追い出され、 外に出たら出たでニワトリ社会にはなじめず、オバハン鶏に追いかけられ、 それでも夕方になるとみんなが止まっている枝を見上げては飛び上がる練習をしていたのに。  うっかり人に慣れているために油田家を訪れるお客さんにも可愛がられ、 サトコの「鶏は爬虫類みたいでかわいくない」という先入観を見事に払拭して見せたのに。  くちばしをつかんでも怒らなかったし、呼べば何となく近寄ってきたし、畳の部屋の網戸を開けると いそいそと入ってきて「これこれ」とばかりに魅駆のご飯を食べていたし、 鶏とは思えないほど(?)かわいかったのに!

 残念だよー。

 香良洲は紫陽花の根元に埋葬されました。  ほかのみなさんよりもちょっと立派なお墓です。(墓枝までついている!)  香良洲を埋葬したらサトコは胃痛になりました。  照秋、間に合わなかったね・・・。

実はあのころから狙ってました?! まんまと手乗り鶏に! むりやり肩乗り鶏に!

(2006.09.12サトコ)

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菜亜子、再び逃亡そして保護 名札の威力、再び

 また逃げましたよ、菜亜子のやつ。

 先週の金曜日(7/14)の夕立に恐れおののき、散歩に行こうと思ってドアを開けたらいなくなり、ほぼ二日ぶりに帰ってきました。  速報でお伝えしましたが、今回も親切な自動車やさんが電話をくれました。  家族はあくまでも他力本願で、チラっと探しに行ったことは行ったけど、名札を見てどなたかが電話をくれると信じてました。  出かけもせず電話番をしていた甲斐があったのかどうなのか、菜亜子2度目の帰還です。

 前回は国354号超えで自動車やさんにフラフラ入り込みましたが、今回は国6号越えで自動車やさんです。  貢ぎ物を携えて迎えに行ってきましたよ。  二日でどのくらい彷徨ったか、下の地図をご覧ください。  矢印が今回の保護された場所、○が前回です。

 雷が鳴ると川下へ向かうのはなぜなのか。川下ではなく、国道を超えるのが目的か。では次は国125号が、はたまた国294号か、ま、まさか国4号か。  もーやめてくれぃ。

(2006.07.19サトコ)

(以下は前回の記事)

 ここのところ、不安定なお天気が続いております。

 サトコは夜飲み会だったので、夕方の散歩は若干短めで勘弁してもらおうと思ったら、 菜亜子は不満に思ったらしい。  家に帰って来た時、菜亜子は遠くになにかいいものを見つけたフリをして、まただぁーっと土手の方へ走って行ってしまいました。  他の子たちにエサをやり、ふと見たら、向こう岸をトコトコ歩いている。  「ゴハンはナシだよ!じゃぁね!」と叫んで、サトコは遊びに行ってしまいました。

 お店でおいしいものを食べていたら、外がにわかに暗くなり、なんと雷がビカビカして雨がドンガラガッシャン降ってきて大嵐に。  「こりゃぁ、恐がりの菜亜子は逃亡したな・・・」と思っていたんだけど、案の定!
 今朝になっても帰ってきませんでした。

 仕事に行く途中に遠回りをして探したりしたけど昼になっても音沙汰なし。  ポスターを作って貼らせてもらうか、と思っていたのですが、夕方になって、常総の近くのカーオークション場からうちに電話がありました。  「茶色いイヌを保護したんですけど、電話番号が書いてあったので・・・」  そうなのです、珂暖の家出騒ぎ以来、逃亡の可能性のある四つ足どもには、みんな名札を付けていたのです。  (チビはちょうど名札がチョン切れてたときにいなくなった)  母さんが早速迎えに行ってみたら、菜亜子がショボくれていました。  不安で水も飲まなかったらしい。  母さんがもっていったチーズはすぐにパクリと食いついたけど。

 知らないところでは物陰に隠れてじっとしているネコとは違って、イヌは訳がわかんなくなるとフラフラ歩き回りますね。  (だいたい、ネコは雷ごときでパニックを起こしたりしませんね)  だからネコは近くから、イヌは遠くから捜索する、というのは鉄則です。  だけど、まさかあの国道を渡るとはね。

 菜亜子を連れて帰ったあと、保護して下さった方に菓子折を届けてきました。  そこにはよく迷いイヌが来るんだって。  ケガしていたのを獣医に連れて行ったこともあるそうです。  親切な人がいるものですね。

 うちに帰ってきた菜亜子は相変わらずションボリしていて、夕方の散歩には来ないし、エサもちょっとづつボソボソ食べるだけです。  上の写真は「ばかねぇ。大丈夫?」と美々に慰められている菜亜子。  心なしかちょっとやつれたかな?  うちが一番安全だって、わかんないもんかねぇ。

 今晩、みんなの名札を再点検します。

(2006.05.25サトコ)

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白マック永眠 

 昨日7/7、白ちゃんがポックリ死んでしまいました。

 前の晩は普通にゴハンをねだり、いつもの苫との頭突き挨拶をしていたのに、 昨日の午前中にお隣の車の下でノビているのを発見されました。  昼休みにいったん帰宅したサトコと母さんとで芽衣柵の中に埋葬しました。  苫も風呂場の出窓から見ていました。
 死因は不明。  交通事故かも知れませんが外傷はありません。

 もともと死にそうな状態でうちへやってきて、そのままここを住処に決めたのが今世紀の初め(?)でした。  猫エイズらしい病気はすでに発症していて、毛並みぼろぼろ鼻水だらだら涙ぐちゃぐちゃ、 口の中の炎症による激痛にもかかわらず野良猫の根性でゴハンを食べ、あの状態からは驚くほど長生きしたような気がしますね。

 生前も人にはまったく心をゆるさなかった白マック、状況的にはうちの子なのに正式な名前をもらえず、 最後までマックでした。(油田家では外ネコは○○マックと呼ばれています。マックは枕のことですが、なぜ枕なのかは別途お問い合わせ下さい)  ゴハンは甲高い声で催促するくせに、絶対触らせてくれなかった。  最近はドサクサにまぎれて抱き上げられたり(恐怖のあまり金縛りにあっていたけど)、 うっかり苫を追ってきたらブラッシングされたり(写真参照)、ずいぶん慣れたかな?と思っていたけど、 弱りきっていたのかもかも知れません。

 人と一緒にいると安全でいいなぁ、と思ってもらえなかったのが残念だ。  でもカリスマ苫(理恵語録)とはなぜか馬があって、苫と一緒に時はゴロゴロいって嬉しそうだったので、 それだけでもうちにやってきた甲斐があったと思います。

<白ちゃんの思い出>
 最初から汚かった。けどだんだん慣れていくのがおかしかったね。近くを通っても警戒しなくなってたし。(母さん)
 なかなか抱かしてくれなかった。やっと持てるようになったのが、くたばる前兆だったなんて。顔が汚くて、なんとか拭きたいといつも思ってたよ。(父さん)
 苫にくっついて人の布団で眠っているところに近寄ったら、シャァァァァ!と逆切れされた。(サトコ)
 

(2006.07.08サトコ)

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今年最大の獲物 ネコの皮をかぶった珂暖

 今朝珂暖が仕留めた獲物その2。

 あはははは、モグラだよ〜。

 朝のイヌの散歩に同行した珂暖は、(といいますか、最近はあれは珂暖の散歩です)モグラを捕獲しました。  まだ生きていたので、父さんが取り上げて持って帰ってきた(なぜか)のですが、 珂暖は「あれどっかいっちゃった」とその辺を探すのに大忙しで、犬たちとは一緒に帰ってきませんでした。  結局サトコが迎えに行ったんだけど「ちょっとー!さっき捕まえたヤツがーー!」とブーブー文句を言いながら帰ってきたよ。

 モグラは珂暖に致命傷とも思われる太刀傷を浴びせられたけど、うちに連れてきてもまだ生きていて、 ベランダにおいたらノソノソすごいスピードで地面に落ちました。  父さんが鶏小屋の隣辺りの柔らかい土の上においてやったら猛スピードで潜っていって、あっという間に跡形もなくなった。  お見事!

 サトコは生きたモグラを見るのは初めてでした。  今までみた無数のモグラはみんなネコたちにトドメを刺されてたから。

(2006.06.20サトコ)

(以下は前回の記事)

 さて、お待たせしました。  誰も待っていないかも知れませんが、お待たせしました。  一日20時間は眠っているはずのネコのくせに、一時もじっとしていない珂暖ちゃんの話題です。

 先週の日曜日の夕方、うっすらと日が落ちてきたころ、突然木の上の鶏たちが騒ぎ始めました。  「またか、うっさいなー」と家族は誰も外を見なかったのだけど、 たまたま遊びに来ていたミオちゃんが外をみて言いました。  「黒いネコが茶色いトリをくわえてるよ」

 家中突如大興奮。  大騒ぎで外に飛び出すと、珂暖が大きな獲物(雄鶏)を放棄して逃亡するところでした。  ミオちゃんの言うことには、珂暖がニワトリの首をくわえてズルズル引きずって庭を横切ったらしい。  とうとう珂暖が生きたトリ(しかもオス)を捕まえたのです!!!

 トリは死にたてホヤホヤで(言葉通り。)、父さんが血抜きして食べようかと言い出しました。  庭中にはびこっている割りには滅多に手に入らないオスチャボの肉です。  もちろん食べますとも。

 頸動脈を切って足を縛って逆さにし、30分ほどつるしておきました。  その間に火をおこしてお湯をわかします。  この日は朝から梅雨空で、即席カマドの火もなかなかつきません。  もういい加減薄暗い雨の中、死んだ逆さのトリの前で火をおこす一団。  ちょっとアブナイ。

 火に藁をくべたりしてなんとかお湯を沸かし、ニワトリを熱湯につけてから毛をむしりました。  熱湯で湯通しすると、毛穴がゆるんで簡単に羽根が抜けてくるのですよ。  しかし、あまり経験しない感覚です。

 頭・足・翼を落として羽根抜くと、もはやニワトリではなくなります。

 ←どこからみても鶏肉です。(あれ?蒙古斑がある?)

 落とした頭は、ご褒美に珂暖に贈呈したけど、本人は「煮てあるの?しかもこれ、タダの頭じゃん!いらない。」といって ネコまたぎを喰らわせてどこかへ行ってしまいました。  そんなわけで、両足と頭は庭の共同墓地に埋葬しました。

 そう言えば、ニワトリだったときは真っ赤だったトサカは、 火が通ると鶏肉と同じ肌色になってしまって、ちょっと気持ち悪かったなぁ。

 そして月曜日の昼間母さんが捌いて、夜ごはんにはめでたくチキンスープになりました!  運動量がソン所そこらの鶏とは違う油田家の鶏肉はちょっと堅かった上、 血抜きが完全じゃなかったらしくて赤身の強い肉でしたが、生臭さは全くなくてスープのダシには最適です。
 残った内臓や骨も煮て犬たちに振る舞われました。

 いやぁ、珂暖、ありがとう!
 珂暖が次に捕まえるときは、一部始終を見てみたいものだね。  まったく、目が見えないといろんなことができるようになるものです。

 それにしても、美々にだって捕まえられないニワトリのオス、日暮れの鳥目を狙ったとはいえ、 本当に珂暖が捕獲したのでしょうか・・・?  実際のところ、家族はみんな半信半疑です。  が、他のトリ達が騒ぎ出したのは、ミオちゃんが珂暖を発見するホンの数十秒まえ。  他の人の獲物を横取りしたのか?  死体はホカホカだったし、野良犬が来ていたなら、うちの犬たちが大騒ぎしたはず。  そしてとくに目立った外傷はありませんでした。  父さんの想像では、珂暖が鶏に飛びついて首にガブリとやって、 ビックリした鶏が暴れたために酸欠で死んじゃったんじゃないかな、ということです。

 果たして真相やいかに。
 ここは、鳥類行動学専門家のテルアキさんにご登場願いましょう。  きっと満足のいく説明をしてくれるでしょう。(ちょっとお腹の皮がよじれるヤツを所望す)

 そういや最近、庭に白い鳥の羽が散らばっていたり、 飼料小屋の中に血しぶきがあったり(ちょとオオゲサ)、不思議なことが続いています。  フフフフフ・・・。

(2006.06.17サトコ)

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ひよっこ、カラスに襲われる(?) 母親は育児放棄か

 母さんが不在で、家事のほとんどがストップしていたユタ家では、卵探しなんぞ2の次、3の次。

 そんなこんなでボヤボヤしていたら、昨日、美々が夕方の散歩について来ませんでした。  帰ってみると、資材置き場のあたりで美々がなにかを探してる。  そこに菜亜子と珂暖まで参加して、宝探しが始まりました。  サトコは鳥の餌をやったり、水を取り替えたりしていたんだけど、どうやらお宝はヒヨコらしい。  例のピヨピヨが聞こえるんです。  春先に生まれたうちの一羽が、どこかに挟まって出られなくなったのかな?なんて思って、 美々達の宝探しにサトコも参戦したのですが。  ブロックのすき間から出てきたのは、生まれたばかりの黄色いひよっこ。

 卵を通り過ぎてヒヨコになっちゃったんですね!

 こんなにピヨピヨ鳴いているのに、母さんはぜんぜん現れず、不思議なことに他の兄弟もいません。  ともかくなんとかしなきゃ、と思って、そのひよっこをポケットに入れ、家に連れて帰りました。

 そしたら、右の翼から流血しているのを発見。  翼がもげてる気もする。  よたよたしている。  犬にやられたのかと思ったんだけど、多分、卵をもらいに来たカラスに応戦して負傷したのでしょう。

 マキロンをしゅばっとやって、ヒヨコ用のランプと一緒にダンボールに入れ、猫が近づかないように 二階のトイレで夜を明かしました。

 幸いなことに、今日母さんが帰ってきたので、エサのやり方を教えてもらい、なんとかちょっとずつ食べさせることができています。  ずいぶん出血したし、ひよっこは弱いので、無事生き延びるかどうかは微妙なところ。  迷獣医の春くんに言わせても「ダメだろうね」。
 でももしかしたら、成長するかもしれないので、できることはやってみます。  ゆくゆくは、肩乗りチャボに育てて、犬の散歩に一緒に行くのです。  翼を怪我したので、多分飛べないだろうけどね。

 このひよっこは、香良洲(からす)という名前にします。  よろしくね。

 ところで、今日の昼間父さんが捜索したら、香良洲が発見された辺りで、 まだ孵っていない卵と、雛が何者かに踏みつぶされて死んじゃっているのを発見しました。

(2006.04.22サトコ)

復活
苫、完全復活 不治の病を乗り越えた

 昨年末、白血病で生死の境を彷徨った苫は、そんなことなどトンと忘れて完全復活を果たしました。

 奇跡の生還ぶりは、「つくばから」2006.01.15版でお伝えしたとおり。
 その後も順調に回復し、いまでは、他の猫たちとまったく同じ生活をしています。  夜も人の布団に入ってこなくなりました。
 とは言っても、100%健康な猫というわけにはいかず。  持病のハナズルはなおらず、すこし体調がおちると膿の匂いがする鼻を垂らしています。  その鼻水が鼻の周りでガビガビに固まってしまうと、口で息をするので苦しそうです。  ハナクソをむしってやるのですが、顔を触られるのがキライなんだよね。  苫のハナクソが減るのと同時に、サトコの手足に穴が増えます。

 奇跡のステロイドを注射した春くんは、実は「あとひと月ももたない」ときっぱり断言した張本人。  菜亜子の名診断のあと、獣医としての信頼度を大幅アップさせていましたが、 今回の苫に対する迷診断は、その評判を危うくしております。  名誉挽回のために、そろそろ苫の口蓋裂を治療してもらおうか。

 ↑玄関前の金魚池には金魚がいることを発見した苫

 隣の畑でひなたぼっこをする苫↑

(2006.04.04サトコ)

お別れ
さよなら小美 交通事故で迷子か

 チビが2月27日(月)の昼頃に行方不明に。探し回ったけれど見つからなかったのですが、 3月2日(木)の夜、茨城県動物指導センターのホームページで28日に保護された犬の中にチビの写真を発見。(右の写真。これがチビの最後の写真となりました。)  土浦市永国で保護、負傷ありとのこと。3日の朝早速電話をしたのですが、残念ながら前夜死亡とのことでした。  母さんが笠間のセンターまで迎えに行って遺体を引き取ってきました。  一旦うちに帰った後、3日の昼に母さんとさと子とペットユートピアで火葬を依頼。  両親のモモ、ランと同じ共同墓地に埋葬してもらいました。

 足先を怪我している他はとくに外傷はありませんでしたが、何も食べず、点滴をしてもらっていたとのこと。  もしかしたら交通事故で、内臓がやられていたのかもしれません。 28日に動物指導センターに電話して問い合わせたときは、つくば市では保護された犬はいないとの返事。 まさか土浦まで行っていたとは。その時に見つかっていれば、とにかく家に帰ってくることはできたのに、と思うと少し残念です。 最近は、すっかり耳が聞こえなくなり目も少し悪くなって、ノンビリ寝ていることが多くなっていました。 でも、道に迷うほど惚けたとは思えません。可哀想に車にでもぶつかって夢中に走ってしまったため迷子になったのではないか、と想像しています。 首輪に迷子札を付けていたのですがそれも取れてしまったのでしょう。

 チビは、事業に失敗して筑波を離れることになった岩崎さんに、犬を連れて行くことはできないのでと モモ、ラン、ミミとの4匹をしばらく預かってほしいと頼まれ、 家に大イヌ(と呼ばれていた)の柵を作って置いていった94年5月以来の我が家の家族でした。  家で子犬を産んだこともあります。  その子たちは皆、引き取り手が見つかって家を離れていきました。  繋がれるのが嫌いで、柵に閉じこめられるのも嫌で、 でも、外に放されていても人にも鶏たちにも少しも悪さをしないおとなしいイヌでした。  イヌを怖がる人もチビなら安心で、我が家に来た子供の客人にも愛されていました。  家に来た時に3才だったとすると、今年で15才と言うことになります。

(2006.03.10父さん)

 さて、ユタファミリのメンバでは最もお客さんに人気者だったチビですが、家族の目からみても、とても印象的な犬でした。
97年。なるべく人の近くにいたいのです。 99年夏。河に犬の洗濯に行ったとき。母さんの足にピトっとなって熟睡です。 同じく99年夏。あのころは蘭もいました。一番頭数が多かった頃。 2002年。春くんがしょっちゅうチビと桐を一緒になでてやったので、"チビ"と呼ぶと桐がやってくるようになりました。
04年。放し飼い状態だったので、「隣の畑」でよくひなたぼっこをしていました。いつもで好きなところへ行っていたけど、人との散歩は大好きでした。 去年。皮膚病にかかったり、腫瘍ができたり、耳が遠くなったりしたけど、チビはやっぱりチビらしかった。 これも去年の秋。珂暖が自分を犬だと思い始めてからというもの、チビは心安らかにごはんにありつけたことがありませんでした。 去年の冬。すぐに頭をつっこんでくるのでじゃまだったなぁ。

 それぞれに、チビのオモシロ思い出を語らせると、

 母さん:川向こうにいるチビを呼ぶと、河をジャブジャブ渡ってきちゃったこと。  あと、久しぶりに春くんが帰ってくると、嬉しくて嬉しくて、どうすればいいの?!みたいにヒャヒヒャヒ言って狂っちゃったこと。  他の犬をなでていると、必ず「ちょっとちょっと、私は?」と自分の頭をズボッと割り込ませたこと。
 父さん:チビは繋ぐと首輪抜けするし、柵の中に入れるとよじ登ったり穴を掘ったり。出てきて人に甘えるのです。 いろいろと繋ぐ方法を工夫したけれどうまくいきません。そこで考えた結論が、「そうだ放し飼いにしよう。」と言うことでした。
 サトコ:川向こうをなんとなく見たことある犬が歩いているので、「チビ!」と呼んでみたら、しっぽがグルグルまわって、スキップし始めたのでチビだとわかったこと。  せっかくひとりで散歩に出かけたのに、名前を呼ばれただけで嬉しくなって帰ってきてしまったこと。

 その他、随時追加しますので、チビとの思い出がある方は、甘かろうと苦かろうと、ユタファミリだろうとなかろうと、ぜひお送り下さい。

(2006.03.11サトコ)

ごあいさつ
謹賀新年 2006年正月 つくば油田ファミリの風景

 あけましておめでとうございます。

 つくばは日差しのないうす寒い元日でした。  油田ファミリの動物たちは年をとってきたけど、人間たちは皆元気で新年を迎えました。年末年始の点描です。

〈1〉 母さんとさと子は犬と猫のターミナルケア。とくに、大和(16才、犬。老年生認知症、白内障による失明、難聴。犬小屋は寒いので夜は室内のケージで生活)、魅駆(15才、猫。歯周病でものが食べられず。現在、疥癬で隔離中)、トマ(年齢不詳、猫。昨年より油田ファミリに参加、12月に白血病発症。現在さと子の部屋でホスピス生活)が相手です。他の犬猫は今のところ悠々自適(つまり我が儘?)に暮らしています。

〈2〉 庭のチャボ・烏骨鶏は約50羽。朝には庭に置いた餌を皆で啄んでいますが、昼間は人から逃れて竹藪の中で生活。夕方に庭の木の高い枝に登って夜を過ごします。

〈3〉 父さんが暇を見つけつつ庭で焼いている竹炭。元日の初窯は原料の竹がすっかり枯れていたので短い時間で焼けたが軽いスカスカの炭になりました。一回で段ボール二箱の炭ができます。

〈4〉 大晦日にはさと子の手術(昨年3月)後の初スキー。父さんと那須のMt.Jeansスキー場へ。帰りにはもちろん温泉も。留守番の母さんは一人で掃除とお節料理作り。夜9時頃に帰ってから3人で年越しそばの夕食。父さんにとって大晦日に掃除に参加しなかったのは初めてかな。

 さて、つくばの外に目を転じると:

〈5〉 季紀はCassieと彼女の家族を訪ねてカナダでクリスマスと正月を迎えています。現在スキー三昧とのこと。このあとハワイで数日遊んでNZに帰る予定。

〈6〉 照秋は1月から小笠原海洋センタのスタッフとして仕事を開始。と言ってもボランティアの時と中身は同じです。元日は小笠原の海開きで、子亀を海に放すイベントなど大忙しでした。

〈7〉 年末まで暇なく働きづめの春人。川原動物病院は元日から4日まで休院なのに、理恵ちゃんの病院は元日から仕事。春人は元日は大掃除の予定とか。

←今年の年賀状です。(PDFファイル)

(2006.1.1父さん 2006.1.7up)


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