ニュース 話題 つくばから 世界から 写真 リンク 油田家族 バックナンバ
つくばから バックナンバ 2006年1〜3月分
動物行動学
ミミはまだ元気 ツイうっかり本能が

 ミミも、最近は寝ていることも多くやや老いを感じさせます。  が、昨日散歩に行くとき母さんについてこなかった。  どうしたのかと思ってうちに帰ったら、雄の烏骨鶏がやられていた。  いつも小屋にいた鶏らしい。  来年度のカレンダーにも出てくるあいつです。

 ミミはまだ元気と言うことで、許してやるか。雄だったし。

 ところで、最近、雌の鶏たちはどんどん卵を産みます。  昨日も、遊びに来た近くの子たちが竹やぶの中で暖め中の卵を8個発見。  可哀想だけどその卵は、今日、父さんが死んだ鶏と一緒に埋めました。

(2006.03.24父さん)

植物学
春たけなわ 一気に芽吹き

 「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、今日の春分の日はとてもうららかで暖かい。 田んぼの畦には、オオイヌノフグリや芹、ぺんぺん草、たんぽぽ、アザミ、ホトケノザなどが花盛り。 うちの庭でも、蕾がいっぱいだったボケが咲き始め、春人の桜も満開です。

 暖かくなって土筆も芽を出しました。  母さんが散歩の途中に県道の下で見つけて、煮物に。  春の休日の朝はいろいろなものが食卓に載ります。

(2006.03.22父さん 2006.3.24アップ)

暦学
2006年度カレンダー 来年度もよろしく

 2006年"度"のカレンダー(PDF形式、1.2MB)作りました。

 反省点:この時になって慌てないように、常日頃からみんなを平等に写真に収めておかねばなりません。  ふぃ〜。

 最新版Adobe® Reader™は AdobeのWEBサイト から無償でダウンロードできますよ。

(2006.03.12サトコ)

高齢医療問題
大和のターミナルケア 母さんも檻のなか

 さて、卑弥呼よりも、飛鳥よりも、そして小美(ちび)よりも、絶対に先に死んでしまうだろうと思われていた大和ですが。  がんばっております。  むしろ、母さんががんばっております。

 白内障のため目は見えず、耳もほとんど聞こえず、最近は嗅覚まで鈍ってきたようで。  年末から、夜間と寒い日の昼間は家の中のケージで過ごしています。  散歩へいくとそれなりにシャンと歩いて驚くのですが、あとはグルグル(ゴチゴチぶつかりながら)まわってドテっと転がっている生活です。

 最近はろくに食欲も湧かず、母さんがあの手この手をつかって、かなりのグルメメニューを駆使し、強引に食べさせています。

 元気なうちはいつも同じメニューなのに、年を取ったり具合が悪くなって味もなにもわからなくなると、おいしいものが提供されるシステムとなっております。

(2006.03.11サトコ)

祝!
母さんの誕生日2006 いつもの恐い写真付き

 ずいぶん前の話ですが、2/9、はるくんと理恵ちゃんが母さんの誕生日後祝いケーキを買ってきてくれ、 ちょっと遅めのお祝いをしました。

(2006.03.11サトコ)

光学
恒例の篝火 灯油のランプ

 つくばにもとうとう雪が降りました。ほんの2週間ほどまえですが。

 灯油のランプは雪に映えるので、という名目のもと、火遊び好きの父さんがさっそく10コばかり設置しました。

 翌日一緒にスキーに行く予定で全泊するためにつくばを訪れたリカちゃんとプンさんの到着にちょうど間に合いました。  車で走ってきたら、遠くからもよく見えたそうです。

(2006.02.01サトコ)

動物繁殖学
最近生まれたヒヨコたち 遅ればせながらアップします

 1月6日の朝に発見されたヒヨコたち。  母鶏が卵を暖めていたのはスウェットの裏のササの中。  結構めだつ所なのに全く気づきませんでした。  ヒヨコになるとピヨピヨ鳴くのでわかるのですが、猫たちにもすぐに見つかってしまいます。  そこで、母親のチャボと一緒に保護し、いつまでも巣立ちできないお姉さんヒヨコ(記事にさえならなかったかな?) を追い出したチャボ小屋に移しました。

 もともとチャボは冬にはあまり卵を産みません。  きっと冬に子育てをするのは難しいからです。  それを無謀にもこんな時に孵したのですが、今年はとくに寒い日が続いています。  ヒヨコたちは母鶏の羽の下に潜り込んでいますがそれでも十分ではないみたい。  はじめは10羽いたのが、次々に衰弱して、現在残っているのは4羽になってしまいました。

 彼らは今のところ元気ですが、ピヨピヨの声が心なしか小さい。  今日は暖かでしたが、今年はまだ寒くなりそうです。  うまく育つでしょうか。

 そう言えば、このところ卵がほとんど発見されていません。  冬だから数は少ないはずだけど、きっと庭のどこかに産んでいるに違いない。  またどこかで暖めているのではないだろうか。

 ところで日曜日の朝、家の前の道で雄チャボが一羽死んでいました。  多分車にぶつけられたのでしょう。久しぶりの交通事故です。  発見されたときは既に血を抜くには遅かったので、食べるのはあきらめてメイ柵の中の共同墓地に埋葬しました。

(2006.01.16父さん 02.01アップ)

動物生命力学
苫、がんばる 主治医も目を疑う生命力

 苫の調子が悪くなり始めたのは昨年12月のはじめでした。

 食べなくなり、日がな一日、ホットカーペットの上の箱の中でじっとしている事に気がつき、 榊原さんのところで点滴をしてもらって2〜3日回復し、そしてまたグタっとしてしまう、というのを 数回繰り返していました。

 あまりに調子が悪そうなので、暖めてやろうと、電気あんかやオイルヒータ完備の豪華病室(サトコの部屋)に いれてやったその晩、トイレに行く気力もなく布団の上でオシッコをしたんです。  こりゃ相当悪いなと思い、(猫がトイレを使わないのはかなりいっちゃってますからね) 主治医の春くんにメールをしたところ、「うちの病院で集中治療をしよう」と言ってくれました。

 翌日、母さんとテルは久が原へ、父さんとサトコで野田まで苫を車に乗せて連れて行きました。  「いろいろ検査してみるよ。」という春くんに苫を預け、「やれやれ、これで一安心」と帰宅しました。
 その夜、4人で中華を食べに出かけたとき、春くんから電話がありました。
 「結論から言うと、苫は白血病だった。 今日か明日かってくらいに悪い。 病院じゃもうなにもできることはないから、明日の夜連れて帰る。」

 さぁて、翌日から戦いが始まりました。
 苫と母さんの。 具合が悪いので食欲がなく、「ほっといてよ!」の一点張りの苫に対して、 母さんが無理やり口をこじ開け、まずい(でも栄養価の高い)ネコ缶を押し込んだり、注射器で牛乳を飲ませるのです。(苫のイヤそうな顔をご覧ください!)

 猫の白血病は猫エイズとならび治療方法がない不治の病です。  苫はすでに末期状態で、血液がとても薄く、極度の貧血状態とのこと。  本来ならばきれいなピンク色のはずの口の中や肉球なんてまっ白です。  正常な血液を作り出す機能が侵されているのですね。  食べないので栄養失調で脱水状態だけど、栄養剤の点滴は血液をかえって薄めてしまうので使えません。  春くんの見込みではひと月は持たないだろうということでした。  年を越えられるかどうか、というところ。  こうなりゃ、たっぷり甘えさせてやって、嬉しい思いをさせて見送るか、とみんな覚悟を決めていました。

 ところが、苫はもともと頑丈な猫らしいです。  母さんの言う「先が真っ暗なむなしい作業」の甲斐もあって(?)一緒に年を越すことができました。  それでも、いつしか缶詰は受け付けなくなって、一度に飲ませることのできる牛乳の量も減り、日に日に悪くなっている感じがありました。  それでも母さんは母親ですから絶対にあきらめません。  そんな母さんを見て、先週の金曜日、春くんが「気休めだけど・・・」といって、ステロイドを入れた点滴をしてくれました。

 そして昨日。
 ホスピス(サトコの部屋)の戸を開けたら「オイラ、外に行く。」と言って苫が出てきました。  少し元気になったなと嬉しくなり、いっちょワガママを聞いてやろうと思って、苫を抱いて1階まで降りて猫の食卓にのせてやったんです。  そしたらさぁ、カリコリを食べ始めたんだよ・・・!!!  サトコは初め目が点になり、次になぜか異常にパニクって「と、とりあえず写メール!」とワタワタしてしまった。  母さんはまた久が原に出かけていたんだけど、帰りの首都高でそのメールを見たらしいよ。 おまわりさ〜ん!  春くんは「まっさかぁ〜!」ですって。
 魅駆にも劇的に効くステロイド。  「死にかけ」が「死に損ない」ほどに回復するなんて、確かにバツグンのドーピング効果です!

 苫は元気になりかけていますが、白血病のキャリアであることは変わりがありません。  この先どういう治療ができるのか、どのくらい未来が明るいのか、サッパリわかりませんが、 まぁ、ともかくその時その時で一番良さそうな手を打っていきましょう。  この病気は猫にしかうつらないそうですが、猫同士ではエイズよりも感染しやすいんだって。  他の猫さんたちには春くんがワクチンを打ってくれました。  いまのところバタンキューした子はいないので、安心しています。

(2006.01.15サトコ)

暦学
恒例の新春七草がゆパーティ

 1月9日に恒例の七草粥の会をしました。

 天候は時々曇りながらほとんど風がなく七草粥びより。  ロボ研の学生さんや研究員、大学の教職員、つくば地区のロボット研究者や、その家族、そして、久保寺ファミリなど、 合計で30人くらいが賑やかに集まりました。  今年も、韓国やフランス、メキシコ、中国など、参加者は国際的でした。

 今年は例年になく寒い日が続きしかも乾燥しているので、家の前の田畑は乾いていて草はあまり生えていません。  が、皆で少しずつ草を摘み歩き、芹や御形(ゴギョウ=ハハコグサ)を中心に七草を収穫しました。  もっとも、スズナ(蕪)とスズシロ(大根)は前日にカスミストアで収穫(?)。  四升の釜で炊いた七草粥を、漬け物や李さんお手製の韓国海苔などと一緒に皆で食べ、新年の思いを新たにしました。

 その後は、焚き火をしたり、ロボ研メンバー+中川カマド隊長によるカマドピザや粕汁など、 これも恒例の新春野外料理を堪能し、さらに、お客さんに犬の介護の散歩を手伝ってもらって、夕方前に解散。

 一夜あけたら、今朝は雪。昨日は絶好のお天気だったというわけでした。

 画像はさと子が家の二階から撮った記念写真。一部写っていない人もいますが、だいたいの参加者です。

 元のサイズの写真はこちらです。
 そのいち  そのに  そのさん  そのよん  そのご

(2006.01.10父さん)

鳥類行動学
真冬の空の下 またか。。。。

 また生まれました。  昨日の朝、母さんが発見しました。  今度は9羽です。  もはやニュースにもなりゃしません。

 ニュースといえば、9羽のうち、1羽は、エサ箱から出られなくなり、凍えて死んでしまいました。  この冬がどんなに寒いか。  みなさんも気をつけてください。

(2006.01.07サトコ)

末子行動学
照秋一時帰国 遙か南洋の小笠原から

 小笠原人になりつつある照秋は12月13日から23日まで一時帰国(?)していました。

 9月に出かけたときは2ヶ月ほどという予定でしたが、それが1ヶ月延び、結局、海洋センタでスタッフとして働かないかとの誘いに乗って、これから1年くらい小笠原の父島でウミガメとクジラを相手に暮らすことにしました。

つくばにいた10日間は、犬猫の世話をしたり、ヒーゼーになったり、百円ショップに行ったり、友達が来たり、横浜にELNA(小笠原海洋センタの親NPO)の忘年会に参加したり、といつも通りの照秋らしい生活をでした。

17日には父さんを誘って羽鳥湖スキー場に日帰りスキー。8年ぶりの日本でのスキーは、今シーズンの滑り初めで滑り納めでした。もちろん、帰りには温泉も。

このところ、強い北風の日が続いています。小笠原から帰ってくる時も海が荒れて竹芝桟橋に着くのが予定の次の日になったけど、出かける予定も荒天のため船が出るのが一日延期。寒いつくばを十分満喫して、23日の朝荷物をいっぱい持って旅立っていきました。

次につくばに帰ってくるのは来年の暮れでしょうか。それまでは、せめて「世界から」にニュースを送ってもらいましょう。

(2005.12.23父さん 2006.1.7アップ)


ニュース 話題 つくばから 世界から 写真 リンク 油田家族 バックナンバ

ページのトップへ戻る

Copyright yutafamily@tsukuba All rights reserved.