特別編
サトコの右膝靱帯復活 極楽病院生活のススメ

3月17日(木)  手術前検査

 手術2週間前のこの日、心電図、出血凝固検査、尿検査、血液検査(エイズ検査含む)等の処検査をしてもらいました。  血液検査のための採血では、ざっと十数本(ちとオオゲサ)の試験管に血を採ったので、ながーいこと血抜きされちゃった。  そのあと、主治医の先生(以下、『ボス』)から治療の説明を受けました。ボスは忙しそうで早口だけど説明が上手です。
 その時の説明図がこれ。説明文はサトコの追記です。

 メールですでに触れましたが、要は膝上下の骨に穴を開け、 人口靱帯と自分の腱(半腱様筋?)でつくった即席前十字靱帯をその穴に通し、 上は四角い金属で止め、下は残りの糸を巻き巻きして丸いボタン(エンドボタンとかいう)で結んどけ、というわけですね。  この行程のほとんどを内視鏡で眺めながらやるってこっちゃ。

 なぜ人工と自分の腱と、二種類使うかというと、骨の穴の外で他の組織に触れるところは、自分の組織を使うんだそうです。  異物反応を防ぐため? もしかして自分のはタダだしオトク? それならなぜ全部my腱にしないのかな?  ネットを探るといろんなことが書いてありますが、ボスに聞いた訳じゃないからわかんないや。

 なにはともあれ、小学校の夏休みの工作のような手術ですね。  かなりワクワクです。  ちなみに、右下の図は「手術中希望があればモニターを見せますよ」という絵です。その上は、膝にいくつ穴が開くかの絵。

この日体に刺さった針の数2、通算2

 

3月29日(火)  一番暇だった初日

 諸事情(てか経済事情)により大部屋に放り込んどくれ、と頼んでいたのだけど、なにやらあったらしく、初めの晩だけ個室に軟禁された。  夕方、白衣の男女が無言で現れ、ベッドに貼ってもらったサトコのネームプレートをみてブツブツ言っている。  すると男の方が「明日手術?」と聞いてきた。  「はぁ、ぜひお願いします」といったら、女の方が「風邪でもひいてない?」と、 病院スタッフにあるまじき「風邪ひいてくれないかなぁ」というニュアンスをプンプンさせながら聞いてくるではないか。  「いーえ、残念ながらっ!」と答えたら、スゴスゴ引き下がっていった。  ダレ????

 後で判明したのだが、この白衣男、実は整形外科の大ボスにして副院長。  まぁ、「副」がついている時点で、彼のエラさはうちの父ちゃんくらいだろう。  なんだ、たいしたことな・・・・イヤイヤイヤイヤイヤ・・・・  そして白衣女は整形外科医の一人。 かなりのやり手らしいぞ。 背も高いし、美人だぞ。

 麻酔科の医者や手術室看護士やら次々とやってきて手術の説明をしていった。  「手術中は半身麻酔だから、いろんな音が聞こえます、気になるようでしたら眠っちゃう薬も入れますが?」 と言っていたけど、こんなおもしろ体験、眠ってしまったらもったいないので、体よく断っといた。

 夜寝る前、すっげーキレイな看護婦さんが気分の安らぐお薬を注射してくれたけど、それが痛いのなんのって。  注射で気分が害された分、±0で薬の効果が相殺だ。

この日体に刺さった針の数1、通算3

3月30日(水)  メッタ切り

 さて、現代医学に絶大な信頼を寄せるサトコとしては、手術自体は恐くありませんでした。  むしろ、楽しみでワクワクしてた。
 だがしかし、注射は別なのです。背骨の隙間から直接神経を狙ってくる麻酔の注射が目下最大の敵。  手術台に上がってバイタルモニタが取り付けられたら心拍のビープ音が早すぎてバレバレっちゅう話よ。  ピピピピピピピピピピ・・・・  「緊張してるの?」とボスは言っていたけど、「はぁ、麻酔の注射がね・・・」と説明する余裕なんてないくらい、注射が恐い。  あーもう、ひと思いにやっちまってくれ!
 ところが、案外痛くなかったんだよ、麻酔の脊髄注射。  なんだよ、脅かせやがってよー。  あっちゅう間に、心拍数がが落ちたじゃないか。  ピッ  ピッ  ピッ  ピッ  ・・・・・

 ふぅ、って思っている間に、麻酔が効いてきて、さて、次は何かな?と思っていたら、  「ハイ、じゃぁ、モニタ見せるね〜。」
 "さて、次はなにかな?"の間に我が膝にはすでにカメラが入り込み、腱も一本摘出されていたらしい。  すっごいハヤワザ!  母さんも言っていたけど、膝の中ってピンクでキレイだった。  胃の中よりメルヘンチック。  熱帯魚が泳いでいないのが不思議なくらいよ。

 あんなに楽しみにしていたのに、手術中は大して面白いことがなかったな。  確かにシュイ〜ンとか、ダダダダダとかいろんな音がしたけど、犬小屋を造るより静かです。  そしてとても暇だった。  ずっとモニタを見せてくれるわけでもないし。  麻酔が効いてしびれていて、痛くはないんだけど、触られたり、膝を曲げられているのはわかる。  足の指を動かそうと思えばできそうな感じだったよ。  脚を切断したのに足首がかゆい、ってこういう感じじゃないの、ひょっとして?  とてもよくわかったのが、骨の穴に即席靱帯を通すのは力仕事らしく、膝だけでなくて体全体がユサユサ揺すられたこと。  この感じは、ソプラノリコーダーを掃除しようとハンカチをつっこんで反対側から引っ張り出そうとする、あの感じです!  笛の気持ちがよくわかった。
 1時間くらい、チャッチャと工作して、即席靱帯をはめ込んだあとの映像も見せてくれました。  腱は、古新聞をしばるあの平たいビニール紐にそっくりです。

 手術後しばらくは麻酔が効いていてとってものんきにしておりました。  術後は大部屋に移してくれたんだけど、窓際がいい、などと注文つけられるくらいに。
 ところが、夜になって膝が我に返り初め、それに伴いこっちは現実逃避体制に突入。  痛み止めはあまり積極的ではなく、点滴にも入れてなかったんじゃないかな。  消灯後になって、こりゃたまらんわい、って感じになっちゃったので、 助けを求めたら、「座薬と注射どっちがいい?注射は一日一回が限度だけど、効果は高いよ」とのこと。  このサトコが迷わず「じゃ注射お願い」と言った事実からも、いかに痛かったがわかるというものだ。  ところが、この鎮痛筋肉注射、史上最痛のスーパーウルトラ注射でした。(めっちゃオオゲサ)  右肩で小型原子爆弾が破裂したかと思ったもんね。  「ナナナナナナナナニゴトだっ?」とあっけにとられていたら、看護婦さんが「あれ?痛くなかった?反応がないけど?」と心配してくれた。  いやー、物事が想定の範囲を超えすぎると体は動けないものですね。  この小型ボンバーのおかげでなんとかうなされずに眠れました。 現代医学万歳。

 麻酔が完全に切れていないし、いろんな装置がくっついているから、 「姿勢を変えたいときは呼んでちょうだい」と言われていたにもかかわらず、 自分でモゾっとうごいたら突然、なにかがプシューといって血のたまった袋のチューブが外れちゃった。  袋の中にはバネが入っていて、チューブが外れたとたんにバネの力で膨らんだのです。  看護婦さんを呼んだら「ありゃりゃりゃりゃ・・・」と結構あわててました。  なによ、これしきの袋ににそんなにあわてなくても。。。と思ったのだけど。  この時のわたしは、いったいどんな一大事が起こっていたのかわかっちゃいなかったのです。  この秘密が明るみに出るのは、まだ数日先のこと。

この日(麻酔なしに)体に刺さった針の数3、通算6

3月31日(木)  鎮痛剤、あんたぁえらいっ


 この日からしばらくは「日々の楽しみは食後の鎮痛剤」という感じでした。  この薬が効くんだよね。  この間、肋骨が痛かったときに処方されたのと同じ薬だったけど。  最初は看護士さんたちがクスリを管理していて、もらう時に飲めばよかったのだ。  ところが、昼食後の薬が届かない!  痛さをこらえてもっと痛そうなミステリ小説で気を紛らわしていたら、薬剤師の先生(以下『薬セン』)が 「ごっめ〜ん!忘れてましたぁ〜」と持ってきてくれました。  テヘ、忘れられちゃった! 後から1週間分の薬をドバっと「自分で管理しんしゃい」といっておいてってくれた。
 この薬センも説明がすごく上手。 人間相手の商売だけあるよね。

 ところで、前日の手術時から左手首に刺さったままの点滴の針、手首を曲げるたびにチクチクしてイヤな感じ。  そこで一日二回の点滴の度に針を刺してもらうことにして、抜いてもらいました。  入れっぱなしにできるように、ナイロンかなんかの細くてやわらかい針だったんだけど。  長さが5センチくらいあったぞ。 そいつがニョロっと手首から出てきてびっくりしちゃったよ。  でもスッキリした。 これで体に不自然に刺さっているものはなくなった。 (と思っていたのがそもそもの間違い。 この秘密が明るみに出るのは、まだ数日先のこと。)

この日体に刺さった針の数2、通算8

4月1日(金)  not先生、just長女

 同室のおばちゃんに聞かれた。「学校の先生でもやってんの?」  「いいえ、いばりくさっているのは生まれつきです、長女なもんで。」
 検温してくれた看護士さんにも聞かれた。「学校の先生なんですか?」  「いいえ、態度のデカさは生まれつきです、長女なもんで。」

この日体に刺さった針の数3、通算11

4月2日(土)  衝撃の事実

 明け方、面白い夢を見た。(らしい)  必死に笑いをかみ殺しながら目が覚めた。 かなり腹筋が痛い。  母さんが「時々大声の寝笑いが聞こえるよ」と言っていたのもあながちウソではないのだろうか。  でも笑いながらおきるなんて、最高の目覚めだと思うのよ。

 ところで、術後の激痛が消えてなお、時々ジクジクとピンポイントで痛むところがあったのですよ。  夕方、ボスが消毒にいらっしゃったのだが、ついに明かされました。  この痛みの原因と、これまで私が知らなかった衝撃の事実。

 ボスがひざ周りの包帯をぐるぐるはずして、その下のバンデージをびりっとはがし、  「ああ、これはもういいね、取ろう」といったその視線の先。

 ぎょぎょぎょ!?!?!?!?!?!
 膝中からホース(直径3ミリほど)が出とる。
 そして例の血のたまった袋につながっとる。
 しかも、そのホース(今まではチューブと呼んでいたけど、突然ホースに見え出した)が針金で、皮膚に直接とめてある。
 ボスは針金をパチンとはさみで切ると、3ミリホースをニュルッと出してくれた。 長さ5〜6センチ。  そしたらジクジクしたピンポイント痛が消えたではないか。 こいつだったのか。。。

 なんだ、普通じゃん、って思うだろうね、みなさんは。  どうして私がこんなに動揺しているかといいますとね。  なんですか、つまり、サトコ的には体の内部と外部は別世界なわけですよ。  通常外界に露出しているところと、そうじゃないところ、の違いっていうの?  極端な話、皮膚や鼻の穴、角膜、口の中、胃の中、腸の中は外界に触れているところやその延長でしょ。  でも血管のなかや、脳みそ、ほねとかいったものは、閉じられた空間の中の感じがするのよ。  肺はビミョー。  だから通常閉じた空間の中身が外に出てくると空間がゆがんだ感じがして、とっても不自然に感じるわけよ!  って、誰にもわからんだろうが。

 ともかく、内部の閉空間であるはずの膝のなかから空間の境界である皮膚を突き破って外界にホースが伸びていて、  しかも、安全ピンで留めるような気軽さで皮膚に針金が巻き付いているのをみて、おったまげたわけです。  このホースは、傷から皮膚の上ににじみ出てきた血を毛細管現象かなんかを利用して吸い取っていると思っていた。(妄想度:中)  でも、実は内出血を袋のバネ力で持って吸い取っていたんだ! ぎゃーーーー!  だから、当時のチューブ、今はホースが取れちゃったとき、看護士さんは慌てていたんだ。 ぎゃーーーー!  あああ、びっくりした。

 いやね、冷静に考えればなんてこたぁない一般常識なんだけどさ。  いまだに納得できません。 外界と内部閉空間が合流する特異点の不思議。(妄想度:強)

この日体に刺さった針の数3、通算14

4月3日(日)  せっかくミラクルターンが決まり始めたのに

 リハビリで松葉杖歩行法を伝授される。  体重の1/2を右足にかけてよろしい、とのこと。  え?ワタクシにそんな器用なことをしろと?  体重計を足の裏に貼って歩くならともかく、頭ではわかっても体がナゲヤリです。  それなのに有無を言わさず車椅子が没収されてしまった。

この日体に刺さった針の数0、通算14

4月4日(月)  親方発見

 もう包帯はいらないといって、バンデージの上に防水テープをはってシャワーを使ってよいことになりました。  うれしい。  でもまだまともに歩けないので着替えもノロい。  ぬれた床で転びそうになったのは内緒です。  しかも防水テープの隙間から水がはいるので結局そのあとはがして消毒してもらわねばなりません。  それでも風呂はうれしいのです。

 風呂上りに、隣の部屋で絵を描いているおばちゃんに出会い、ついつい立ち話してしまったら、右足が土気色になった。
 このおばちゃんは、絵描きさんで病院では水彩画を描いているそう。  植物画や人物画などなどたくさんみせてもらった。  病院食にでてきたらしいイチゴの絵に目玉が飛び出しかけた。  一緒に描きましょうと誘ってくださる。

この日体に刺さった針の数0、通算14

4月5日(火)  即席靱帯の栄養

 自分の腱を使って作った即席靱帯には、そのうち膝内部の組織が集まってきて、血管が生え、栄養補給するようになるそうです。  当たり前じゃん、て母さんは言うけど、私にはやっぱりこの『人体の不思議』というか『人体の出来のよさ』に感心してしまう。  この即席靱帯に賞味期限(じゃないけど)はないんですって。

 足を骨折してしまったというおじちゃんに、「きみはどこも悪くないようだけどねぇ?」と言われてしまった。  結構、膝あたり、痛いんですよ、こう見えても。  頭あたりもイテテなことになってんですよね、こう見えてもー!

この日体に刺さった針の数0、通算14

4月6日(水)  コウちゃんがお出まし

 この日は春くんも休みで母さんと一緒に面会に来てくれた。  そしたら、コウさまもママくんと一緒に来てくれた。  コウさまと春くんは初対面。  「サトコの弟だよ」と紹介すると、
 「なんでサトコの弟は小さくないの?」
 朝日新聞の「あのね」に投稿したい。  ママくんは「コウタだって弟と大してかわんないじゃん」と突っ込んでましたが。

 春くんが上手にコウちゃんをだっこするのでサトコはびっくり。  もしや隠し子でもいるんじゃないか?

 コウさまは看護婦さんをみて、自分が注射されちゃうかと一瞬錯覚し、ちょっと泣く。  あわてて「いまイテテなのはサトコでしょ、コウちゃんは注射しないよ」と話したら、  「コウタ、お見舞いに来たの?」という。  かわいくていじらしくてこっちが泣ける。  当の看護婦さんは「子供に泣かれるのは初めてです」と落ち込んどった。  コウさまは特別だからね。。。。

この日体に刺さった針の数1、通算15

4月7日(木)  サクラサク

 ああ、とうとう桜が咲いてしまった。  退院間に合わず。  病院のすぐ裏に去年リカちゃん達と雨の中を見に行った名物桜があります。  農林省の研究所の桜並木です。  けど病室の向きが微妙で、ガラス窓におでこをくっつけて、無理して横目にならないと見えん。

 ところで、同室の中2の女の子が他の患者を使って看護婦さんごっこを始めました。  耳が遠く、痴呆がすすんでいるおばあちゃんの世話を焼きたがるの。  一人芝居で「どうしたの?」と言いながら用もないのにベッドを起こしたり、 「あれ?聞こえないのかな?」とつぶやきつつ補聴器をつっこんだり、 「喉が渇いたのね」と勝手に納得しながら水を飲ませたりしています。  看護士さんがたしなめても効果ナシだったので「頻繁に見回りに来ます」とのこと。  けど、看護士さんが「異常なし」と部屋を出るのがニセ看護婦の活動開始の合図です。  ちょっとキツイ口調で言い聞かせても、楽しくて止められないらしい。  サトコは気になって熟睡できず。

この日体に刺さった針の数0、通算15

4月8日(金)  更に寝不足

 ニセ看護婦は明日退院。  なにやら彼女とはうまく会話がかみ合わないのだが、「京都出身です」という。  毎日家族がお見舞いに来るのんだけど、エバラギ弁丸出しの家族なんですけど。  そういや、彼女に会ったばかりの頃、中学生くらいかな、と思いつつも「高校生?」と聞いたら、「大学生です」と言われ、衝撃を受けた。  でも「え、そうなんだ、専攻は?」って聞いたら「音楽」。  「へぇ、どこの大学?」「明治大学」。    ?!?!?!       ま、別情報で彼女は中2だとわかったんだけども。  サトコ以上に妄想驀進少女です。

 最後のチャンスとばかり、ニセ看護婦ぶりを発揮するのではないかと、 ちょっとの物音にも目が覚めるので、サトコはまたまた寝不足。

この日体に刺さった針の数0、通算15

4月9日(土)  !!!

 眠れないまま起床、検温の時間になり、ベッド周りのカーテンがシャーッと開けられた。  となりのおばあちゃんはベッドごともぬけの殻。  ニセ看護婦の被害に遭っていたおばあちゃんは、消灯直後に別室に移動していたらしい。  なんのために、私が寝不足になっているのか。  しかし、ニセ看護婦は無事退院し、病室に平和が訪れる。  安心のあまり、熱が出た人もいた。

この日体に刺さった針の数0、通算15

4月10日(日)  リハビリは悪夢

 寝不足で胃が痛い。  いや、鎮痛剤にやられたらしい。  痛み止めを飲むのを止めてみる。

 日曜日なのでリハビリはなし、シャワーもなし、やることなし。

 ところで、リハビリは月〜土、たいてい午前中に2時間弱、足に重りをつけた筋トレがメインでした。  伸びもしなけりゃ、曲がりたくもないという頑固な膝相手に、  リハビリの先生(以下、『リハ先』)が無理やり挑むので、とっても痛い。  でも痛い時って、泣くより笑ってしまうので、あまり痛そうに見えないですね。  悪態をつきつつ、なんとかくぐり抜けるって感じです。  すごく穏やかな顔したリハ先なのに、容赦ないことこの上なし・・・。  でも、それより信じられないのは、数週間前までは普通に飛んだり跳ねたりできていたのに、 ちょっとめった切りにされたからって突然ストライキを起こす我が右膝。  膝が80°くらいしか曲がりません。  根性が足りネェとは思うけど、男の人でもあまりの痛さに泣いていたという目撃情報もございます。

 他の患者さんたちと、どーでもいいことで盛り上がり、笑いまくって腹筋も痛い。

この日体に刺さった針の数0、通算15

4月11日(月)  はなくそ

 胃が痛いので鎮痛剤をやめたら、今度は膝が痛い。  何をしてもどこがが痛い。

 リハビリに学生が7週間の実習に来ている。  きっとあんくんと同級でしょう。  なぜこの道を選んだのかと聞いたら、私と同じ怪我をしたことがあるとのこと。  私が「将来何になろうかな」と考えていた時は、理学療法士という職はまるで眼中になかったと思います。  あのころ、怪我して治療していたらきっと人生変わっていたでしょう。  少しは人のためになっていたかもね。

 隣部屋の絵描きさんが1センチ四方の紙で鶴を折っている。  ある先生曰く、「鼻くそ鶴」。  うん、確かに鼻から出て来るには最適なサイズ。

 痛くて何もやる気がおきず、自分のベッドで眉毛をトリミングしてた。  時間がたっぷりあるので、かなり左右対称度がたかいぞ。

この日体に刺さった針の数0、通算15

4月12日(火)  い

 今日も胃が痛い。  必然的に食欲がない。  初期のころから本領発揮(「腹減りダンス」の披露など)していたため、 食欲がない、などと口にしようものなら、部屋中で心配してくれる。  見ての通り、デリケートで、胃も弱いのです、と話しても信憑性がゼロらしい。  おかしい。
 朝の検温時に「胃がね・・・」とつぶやくだけで、その日の夕方には 薬先が新たなクスリを携えて会いに来てくれる。  素晴らしき駆動率のシステムです。

 サチコ母が見舞いに来てくれました。  私の頬がこけたという。  こけるなら腹から! 太股から! たのむよ〜。

この日体に刺さった針の数0、通算15

4月13日(水)  ヒダリ向け、ヒダリっ

 リハビリで杖なしで歩く練習をした。  そして杖は没収。  なぜか、あるくとどんどん左にそれてしまう。  とてもおもしろい。  とか言っている場合ではない。  手術前はどうだったのかと聞かれても、昔のことは忘れる主義なんですよね。

 さて、手術前の10年間、右膝には二つ関節があるような感じで、階段の上り下りのときなど、 膝下から大腿骨に力が伝わるとき、一瞬間がありましたが、それが解消されているではありませんか!  う〜ん、忘れていたこの感じ!  ちょっと感慨にひたってしまいました。 左に傾きながら。  即席靱帯を得、関節をひとつ失ったわけですね。

 ところで、理学療法士は独立開業が許されていない職らしいです。  医学会のイジメですか。

 胃薬のせいか、蛍光灯のチカチカか、偏頭痛がする。  もう痛いのは飽きた。  この辺り、体調がわるかったので、口調もぶっきらぼうです。

この日体に刺さった針の数1、通算16

4月14日(木)  釈放のめど立たず

 リハ先がサトコの歩き方をしばらく眺めて教えてくれた。  左よりの歩みは、右足がねじれていて、つま先をまっすぐにしようとすると、膝が左(右足なので内側)を向くためらしいです。  しかも、膝を充分曲げていないため、前に出すときに外向きに弧を描いているらしい。  だから着地したときは更に左を向くわけだ。  よくわかるよね、人の膝なのに。  さすがだよね〜。  気をつけて歩いてみたら、ふむ、確かに、まっすぐ進むかも。  人生、前向きにね。

 夕方、ボスを見かけたので「いつ退院していい?」ときいたら、  「いつでも。」「じゃ、今週末でも?」「いいよ。」  しかしここで、魔が差した。つい「でも膝がまだ105°しか曲がらないけどいいっすか?」と口走ってしまった。  そしたら、「じゃ、だめ。110°になったらね」  あっさり撤回されてしまった。

 数日前から同じ部屋に入院しているおばちゃん、なんとトシの2年生のときの担任の先生のお母さまでした。  そしてこの病棟だけで、「夫がいとこ同士」や「幼なじみ」などなど、世間はせまいことがよくわかった。

この日体に刺さった針の数0、通算16

4月15日(金)  男の二言

 朝の回診でボスに「110°目指してがんばります!」と珍しく前向きな宣言をしたにもかかわらず、 ボスは、「あ、ごめん、みんなには120と言ってしまった。120目指してがんばって。」  ぎゃふん。

この日体に刺さった針の数0、通算16

4月16日(土)  衝撃のひとこと

 
 バンデージをはがしてもらいました。  いっぱい穴が開いてた跡がある。

 同室のおばちゃん、見舞いに来た母さんをみて、「妹さんかい?」         ってオイ!  28も年上の妹がいるかい!

 リハビリで、膝が何度曲がっているかは、リハ先がステンの分度器(別の名で呼ばれていたような気がしないでもない)で測ってくれます。  その分度器は、アームが長くて、リハ先がそいつをシャキンシャキンと(たぶん無意識)しながら近づいてくるのが、激痛の時間と胃痛の始まり。  密かにリハ先の金棒と呼んでいます。

この日体に刺さった針の数0、通算16

4月17日(日)  叫び

 明け方、洗面所で男の人が転ぶ。
 昼過ぎ、トイレの便座から女の人が落ちる。
 消灯後、別室から絶叫が聞こえる。

 この日の昼前、飛鳥が死んでしまいました。  飛鳥の臨終に間に合わなかったし、桜も散ってしまったし、もう急いで退院しなくてもいいや。

 同室にトイレの介助が必要な患者さんが2人いる。  夜中もちょくちょく看護婦さんがやって来て、電気をつけ、トイレの世話をする。  そのたびに目が覚めてしまうのはなぜ。  みなさん、真っ暗なときは声を潜めているのに、小さな明かりをつけると、声が普通のトーンになるのはなぜ。

この日体に刺さった針の数0、通算16

4月18日(月)  妄想

 今月最強の寝不足。  リハビリ予約を午後に変えてもらった。  午前中にぐったりしたあと、シャワーを浴びたらちょっとスッキリ。  リハビリ後もちゃっかり二回目のシャワーを浴びて復活の兆しが見え初めた。  夕方には、薬先が睡眠薬を持ってきてくれた。  キムタクのドラマを眺め、トイレに行き、睡眠薬をゴクリとやって布団に入ったら、 なぜか自分は今、南の島で休暇中という錯覚に陥り、 「今日もとても楽しかった、明日はなにして遊ぼうかな♪」というリゾートチックな気分になった。  ヤバくない?

この日体に刺さった針の数0、通算16

4月19日(火)  驚き

 昨日の夜、リゾートホテルを妄想しながら、パチっと瞬きをしたら、

 もう朝だった。

 これが睡眠薬のスゴさなのでしょうか。  時間も量子学エネルギ順位的に飛ぶのでしょうか。  連続ではないのですね。

 ぐっすり寝たので調子が戻ってきたらしく、膝が120°曲がったような。  痛みもほとんどないし、いい感じ。

 リハビリで膝に超音波をあててもらった。  組織がスムーズになり、血行が良くなるんですと。  音波で?どうやって?とクエスチョンマークでいっぱいになったけど、やってみるべし。  確かに、膝が柔らかくなったような、気のせいのような。  膝に向かって「あぁぁぁぁぁぁーー!(かん高く)」とか言えばいいんじゃない?  もしくは山彦ロボの出番かな。

この日体に刺さった針の数0、通算16


4月20日(水)  油断

 今日はリハビリで、私の膝を曲げよ、ともかく曲げよ、曲がらなくても曲げよ、と指令を受けたのは、例の実習中の学生さん。  リハ先に挑まれるときは痛いときはリハ先をケトばしていたけど、 若いコ相手にそんなことしちゃダメよね・・・などと思ったのが運の尽き。  リハ先よりも更にウワテでした。  うっかり125°も曲がってしまいました。  激痛と共に。  相手が若くて油断した。  勉強のためだ、私の膝が役立つなら!などと考えていたから油断した。  なにはともあれ、目標数値に達したので、学生さんとリハ先とガッチリ握手しておいた。

 隣部屋の絵描きさんに「透明水彩画」なるものを教えて頂き、亜夜の絵を描いた。  顔の縞模様がちょっとちがうけど、そして亜夜とは思えないくらい美化してしまったけど!

この日体に刺さった針の数0、通算16

4月21日(木)  

 朝の回診で「120°曲がりました」とボスに報告。  そしたら、「じゃ、明日ね」  明日帰ってイイってことかな?
 午後になって、看護士さんに「先生から退院について決めゼリフはありましたか?」と聞かれた。  「じゃ、明日ね、と言われました」と言ったら、「それ以上にハッキリした決めゼリフはありません!」だと。  みんなうやむやに退院していくのか。

 さて、時間がないぞ。  荷造りはそっちのけで親方(となりの絵描きさん)にガラスと金属の描き方をおしえてもらう。  リハ先の金棒(分度器ですね)の絵も描きました。←リハビリ室にスケッチをしに忍び込みました。  ガラスのコップにささった花も描きました。  楽しい。  あー、退院したくねぇや。

この日体に刺さった針の数0、通算16

4月22日(金)  

 リハビリで、「最後ですから」となぜが3キロの重りを渡される。 ヘロヘロですって、イヤ、まじで。  いつもは2キロなのに。  しかも、別にリハビリは最後じゃないのに。 追い出したい気持ちはわかりますが。  リハ先が「家でも曲げる練習、伸ばす練習、してくださいね」という。  「そりゃもちろん、いたしますとも!」と答えたけれども、「しなかったらバレる?」とも聞いてみた。  うん、ちゃんとわかるらしいね。 イテテ。

 母さんが迎えに来てくれたので、昼前にカネを払って出所。  アップルキッチンでオムライス食べて帰りました。

この日体に刺さった針の数0、通算16

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 それにしても、こんなに快適な3週間を送れるとは夢にも思っておりませんでした。

 前、Pavolが「共同運行の飛行機に乗るとわかるけど、日本人キャビンアテンダントは笑顔で、仕事を楽しんでいるように見える。  ガイジンのキャビアテは仕事だから仕方なくやってるように見える。  サトコが"笑顔は大切"と言っていた意味がやっとわかった」などと言っていたことがあります。

 看護士さん達がいつも明るくて笑っているのは、そういう風に教育されているからなんだろうか。  ニンゲン相手の仕事って大変だなぁ。  昔の職場で「絶えず笑顔を」なんて標語があったら、それだけで胃が痛くなりそう。  まぁ、ニッポン人は意味もないのにわらってごまかすイヤな癖もあるけどね。  かといって、スロバキア人は(語弊があるでしょうか)写真を撮るときわざわざ笑顔を作らないけど、それもどうかと思うでしょ。

 結局極楽入院生活を送れたのは、最新医学のおかげで私への負担が軽い治療を受けられたことはもちろんなんだけど、 質の高い看護を受けられたことが最大の理由だと思った。  看護婦さんは白衣の天使なんかじゃありませんでした。  天使なんか何もしないでそこら辺をピラピラ飛んでるだけでしょ。  看護士さんや理学療法士さんたちは、むしろデキの悪い妹の面倒をきめ細かくみるにーちゃんねーちゃん、と言う感じだよね。  汚かったり、大変な仕事もヒャヒャヒャって笑い飛ばしてた。

 それから整形外科だけあって、ずっと年上のひとといろんな話ができたのがとても楽しかった。  植物に詳しい人がいたり、料理を教えてもらったり、絵を教えてもらったり、 ご自分の骨が折れていたにもかかわらず、ご主人の面倒を見ていて悪化したなんていうおばちゃんもいたり、 すっげぇイケメンのご主人が毎日お見舞いにくるおばちゃんもいたし、子育ての話を聞いたり、 戦争中の話を聞いたり、老いとはなにかなんて話をしたり、もちろん病気の話もいろいろ教えてもらったよ。

 あ〜 たのしかったなー。  また行きたいな!

(2005.4.23サトコ)


特別編

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