ニュース バックナンバ 2008-2010年分


結局増える

チョンボロリ者の新入り

 まるで駒太朗の選挙戦ポスターのようですが、駒ではありません。 えー、じつは、また野良猫が一匹、やってきました。

 あるマックが入院(つくばからを参照)したとたん、「じゃ、オイラの番ですな」と言わんばかりにうちの子になると言い張るのです。  成猫のオスで、尻尾が♪「こブタのしっぽ」のようにちょろりとしています。だからちょんぼりマック。 呼ぶときはチョンボロリになってしまう。

 人懐っこいので、きっとどこかで飼われていたのだと思う。  ただ、家の中よりベランダの方がおちつくらしい。  なにやら珂暖が気に入ってしまったらしく、土手を散歩する珂暖の後ろを50センチも開けずにピタリとついて歩いています。  ストーカーのようだ。  とりあえず、猫の飼い主探しのポスター頼みです。  高勝率を誇る迷子猫ポスター、迷飼い主探しでも力を発揮していただきたい。ひとつよろしく。

 

 迷子猫ポスターといえば、今年になって珂暖はもう2度も家出してます。  そのたびに、ポスターをはって、そのおかげでみつかりました。  2度目なんか、3本上流の橋まで貼りに行き、そこで名前を読んだら返事をして見つかったのですよ。

(2009.06.08サトコ)

訃報

苫とガンと白血病

 そういえば。 えー、じつは、この春苫がなくなりました。  ひどい皮膚病や白血病を克服し、不死身に見えた苫でしたが、ガンとは共存できませんでした。

 あ、いっしょに写真に写ってはいますが、父さんは生きていますよ。  ピンピンとまではしていませんがね。

(2009.06.08サトコ)

お久しぶりです、ふたたび

ちゃっかり者の新入り

 そういえば。 えー、じつは、冬の間に猫が増えました。  春日部の新入りだったはずの、「楓」くんです。  もともといる姐さん猫とウマが合わず、つくばに追い出されてきました!  なにせ、ひとなつっこさと、超がつくねこなつっこさの上に、すさまじい空気読めないぶりなのです。  シオン姐さんは、ストレスでとてもかわいそうなことになってしまいましたよ。

 そこで、バレンタインの日につくばへやってきました。  背中の模様が紅葉のようだったので、カエデ君という名でしたが、 我が家にいた世紀(20世紀)最強の美猫「楓」と同じ名前になってしまうので、 このこの名は「楓彦(かえっこ)」と改めることになりました。

 つくばに来ても、はねっかえりの空気読まないぶりは変わらず、 みんなに白い目で見られながらも、最近はモグラやネズミの捕獲も覚え、のびのび楽しく生活しています。  駒太朗と一緒になって竹藪を爆走したり、トリ小屋によじ登ったり、珂暖について土手を散策したり、 つくばならではの生き方を身に付けたようです。 ヒトとも目を合わせて大声でしっかり意思疎通をします。  そうそう、自動車を怖がらないので、エンジン音が近づいてもノホホンとしているのには参ります。

(2009.06.08サトコ)

有言実行

お久しぶりです

 ええと。  久々の更新になりました。
 今年の年賀状に、「今年は少しはWEBを更新する」とか書いちまったので、今日のうちに何か書かなければいけないのです。  たいへんだたいへんだ。
(2008.12.31サトコ)

人事消息

逝く衆、来る衆

 いやー、20ヵ月ぶりの更新ともなると、高齢化の昨今、このネタはつきませんな。  黒枠がユタ家を去ったみなさん、ピンクが新規加入メンバです。

美駆 みっく (享年14歳)
長いことうちの看板ネコを務めました。 子猫の世話が上手で、助かりましたね。 最後は猫エイズが発症してしまいましたが、金に糸目をつけない春君と理恵ちゃんの治療のおかげでずいぶん長生きしましました。
甲斐 かい (享年15歳)
美駆と一緒に平成5年にやってきました。照とは大変な相思相愛ぶりでした。 照が久々につくばへ帰ってきた時、もう自力では動けなくなっていたはずだったのに、 自分で照の布団にもぐりこんでいって、喉を鳴らして眠り、朝になる前に亡くなりました。
大和 やまと (享年19歳)
我が家四足群の最古参。このうちに引っ越してきた平成元年春からのメンバでした。 もう年は越せないな、とささやかれ始めたあと2年間もがんばって、毎日母さんにゴハンを口へ運んでもらいました。
美々 みみ (享年14歳)
母さんの記録によると、うちへやってきたのは94年の春だったようです。 白い大きな図体と、穏やかな表情が印象的な犬でした。(実態は別記) 里親候補のお客さんが、子犬よりも美々がいいなと言った事もあります
菜亜子 なあこ (享年12歳)
持病の心臓病が突然悪化して、あれよあれよという間に逝ってしまいました。 目が大きく表情豊かで、上目づかいのおねだりが得意でしたね。 母さんはいつもまんまと乗せられていました。
亜夜 あよ (享年7歳)
うちで一番愉快なイキモノだった亜夜が、交通事故で亡くなりました。 サトコはまだ立ち直れません。 しかし実はまだうちに住んでいるようで、珂暖や苫が、よく亜夜の意見を一応聞く仕草をします。 っつーか、あんた、私のとこに出てきなさいってば。
亜子 あこ
道路沿いの、藪の中でミーミー言っていたのを母さんが発見しました。 油田ファミリ仕様のものすごいブサイク顔です。そこがまた最高。 木登りと虫捕りが上手です。 はずして机の上においてあるメガネが最大の敵です。
駒太朗 こまったろう
筑波大の学生さんが保護した子猫を引き取りました。 顔をチョイと傾けてこっちを見るアレに一同メロメロです。 が、亜子さんがしっかり面倒を見てくれるので、あんまりヒトに寄り付きません・・。 最近は珂暖おじさんが大好きです。
当初の名前「こま」が「とま」と混同し、本人たちが困っていたので、このたび改名しました。
亜子 あこ (享年たったの半年)
なんと亜子ちゃん、家の前で交通事故にあって亡くなってしまいました。 うちへやってきてたったの4か月。 顔から後ろは格別の美猫に育っていたのに。 車の怖さを教えてあげられませんでした。 本当に残念。

この写真は、(おそらく珂暖が捕ってきて解体した)バンの翼をみつけ、得意顔のカメラ目線。

とっくん 2008.12.27生まれ
バンザイ!春日部に次世代がうまれました!
あるマック
一瞬「んっ?」って思いませんか。 目の"ある"黒いマクラ猫が、ゴハンを食べに来るようになりました。 (マクラ猫:外猫の意。名前の最後に「マック」がつく)
ものすごいおしゃべりで、その点がいつもは穏やかな珂暖の癇に障るらしく、黒いふたりはいつもケンカばかりしています。

 そろそろ、うちの前を走ってくる車に向かって私が転がって行って、セイフティードライブを直に訴えるべき頃合いです。

(2008.12.31サトコ)

ミミについての思い出話

 昔、我が家にドウドウというそれはそれは大きくて立派な雄鳥がおりました。ドウドウは並木の団地である家族が飼っていたのですが、大きくなりすぎて飼えなくなったため我が家にもらわれて来たのでした。ドウドウはいつもゆったりと威厳を持って庭を歩き回り餌をついばんでおりました。ドウドウのあまりの立派さに他の鶏や人間たちさえも近づくのをためらった程でした。

 毎日犬がもらう犬餌は鶏たちの好物の一つです。ドウドウは庭で餌をついばむだけでなく、時々は犬が食べ残した餌にも手を伸ばしておりました。その頃はミミはまだ鎖につながれて外の小屋で暮らしていましたが、ある日、ドウドウはミミの小屋の中にミミの餌を食べに入ってきました。小屋の中にいたミミは、鶏を脅かしてはいけないと知っていたし、それに、ドウドウはあまりに立派だったので、ドウドウが餌を横取りしている間小屋の端っこでじっと大人しく我慢していました。

 が、とうとう我慢できなくなり、ドウドウにちょっかいを出してしまいました。鶏は、犬につかまると大暴れをします。そこで離れればいいのですが、放してもらえないと、結果としては犬に振り回されたことになり、頭に血が行かなくなり死んでしまうのです。

 さて、目の前で動かなくなったドウドウを見てミミはびっくりしました。さあ大変。鶏のちょっかいを出すとしかられるのは分かっています。そこで、大急ぎで、小屋の脇の地面を掘ってドウドウを埋めました。ところが、ドウドウはあまりに大きかったので、全身をすっかり埋めることが出来ず、こんもり盛り上がった土の上にドウドウの足が2本はみ出したままになってしまいました。

 ちょうどその日は、前の飼い主の家族がドウドウに会いに来る日だったのですが、彼らはドウドウに会うことが出来ず、他の犬や猫たちと遊んで帰ることになりました。

 ミミは、自ら謹慎し、ますます、じっと我慢する犬になりました。が、その後も時々我慢しきれず、またまた反省となることもありました。

 まだ、ミミが元気だった頃のお話です。

(2008.12.31父さん)